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目指せ!歴史年表マスター③

17年10月05日

歴史年表マスターも今回で3回目。
今回のテーマは「明治時代の諸政策①」

廃藩置県(1871)「藩とは1(い)8(わ)7(な)1(い)=藩とは言わない」

目的は国家権力の体制を中央集権にすることです。
版籍奉還(1869)では、天皇に各藩の土地と人民を返還させました。
しかし以前の藩主が知藩事として、以前と同じように治めていたので、
あまり変化がなく、各藩が力を持ち続けました。
そこで、すべての藩を廃止して、新しく府と県を置きました。
また、政府の任命した府知事と県令がその府県を治めることになりました。
こうして、権力が各地に分散していた体制から中央集権体制に変わりました。
ちなみに、、、
琉球処分(琉球藩設置から沖縄県の設置までの過程)で、
沖縄県が設置されたのは1879年です。
「琉球とは言わなくなった」で覚えましょう。

学制(1872)「ひと(1)は(8)な(7)に(2)よりも学校へ=人は何よりも学校へ」

教育改革の政策です。
江戸時代には武士の藩校や庶民の寺子屋などの教育施設がありましたが、
明治時代になり、欧米諸国に対抗するために、
政府は全国各地に学校を設置し、統一的な教育をし、国民の教育水準を高めようとしました。
そして「6歳以上のすべての男女は学校に行くこと」と定められました。
当時、農村では子どもは大切な労働力であり、
また、当初は学校の建設費負担や授業料の支払いもあり、
反対する人も少なくありませんでした。

③地租改正(1873)「い(1)や(8)な(7)さん(3)ぱーせんと=嫌な3%」

税制改革の政策です。
これまでの日本は、稲・米を年貢として納めさせていました。
しかし、農作物のため、年によってたくさんとれたり、とれなかったりします。
明治政府が様々な政策をする上で、お金を安定的に得る必要があります。
そこで、農民に地券を発行して地価を定め、地価3%現金で納めさせるようにしました。

④徴兵令(1873)「ひと(1)は(8)な(7)み(3)だの=人は涙の」

兵制改革の政策です。
開国をし、欧米諸国の強さを目の当たりにした政府は、
軍事力の強化が重要だと考えます。
そこで、「満20歳の男子」に3年間の兵役の義務を定めます。
ただし、様々な免除規定があったので、全員が兵役についたという訳ではありません。

いかがでしたでしょうか。
今回は明治時代初期の中央集権化、三大改革を扱いました。
ゴロを何度も音読して覚えましょう。
次回は「明治時代の諸政策②」です。
お楽しみに。

◆『目指せ!歴史年表マスター』過去の投稿◆
「近代の戦争編①」
「近代の戦争編②」

目指せ!歴史年表マスター②

17年09月28日

目指せ!歴史年表マスターの第2回目は「近代の戦争編②」です。
今回もゴロ合わせをしながら覚えていきましょう。

日中戦争(1937)…「い(1)く(9)さ(3)ながびく(7)=戦(いくさ)長引く」

北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)付近での日中両軍の衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、
終戦の1945年まで続いた、日本と中国の戦争です。
日本の夜間演習中に中国軍から発砲があり、
慌てて点呼をとったら一人足りなかった(トイレに行っていた)ことから戦争となった・・・という説もあります。
それはさておき…
日本軍が当時の首都である南京を攻め落としても、中国軍は首都を重慶に移し、粘り強く戦いました。
それで戦争がなかなか決着せず、ずるずると長引いていきました。
これが「戦(いくさ)長引く」日中戦争(1937)です。

第二次世界大戦(1939)…「い(1)く(9)さ(3)くるしい(9)=戦(いくさ)苦しい」

ドイツのポーランド侵攻をきっかけに始まった枢軸国側と連合国側の2度目の大戦です。
第一次世界大戦後のドイツは、ベルサイユ条約による巨額の賠償金、世界恐慌による深刻な経済打撃により国民が疲弊していました。
そんな中、ヒトラー率いるナチスの台頭によって、ドイツはファシズム体制に変わっていきます。
軍事力を強化し、積極的に領地拡大を目指したドイツは独ソ不可侵条約を結び、ポーランドに侵攻しました。
1940年には日独伊三国同盟を結び、はじめは優位に立っていた枢軸国側も、
アメリカの連合国への支援、大戦への参戦により戦況は一転して劣勢に。
1943年7月にイタリアが、1945年5月にドイツがそれぞれ降伏しました。
残った日本も1945年8月に降伏し、戦争が終結します。

太平洋戦争(1941)…「い(1)く(9)よ(4)いっぱつ(1)=行くよ、一発」

第二次世界大戦中の、太平洋地域・日本本土を主戦場とした日本と連合国軍との戦争です。
長引く日中戦争に苦しんだ日本は、
米英などによる援蔣ルートを断ち切ること、
資源を得ることなどを目的に南進を行います。
アメリカとの戦争を避けるため交渉を続けるも、
日本への要求は厳しく、受け入れることはできませんでした。
そしてついにハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争へと突入していきます。
この戦争中に、日本は原子爆弾を広島と長崎に落とされました。
その後、ポツダム宣言を受け入れ、日本は降伏します。

今回の3つの戦争は2年ごと(1937→1939→1941)に起こっています。
前回の日清・日露戦争、第一次世界大戦と合わせて覚えましょう。

◆『目指せ!歴史年表マスター』過去の投稿◆
「近代の戦争編①」


 

 

目指せ!歴史年表マスター

17年09月21日

社会で歴史を勉強するときに、語句に合わせて書かれていることが多い年号
学校の定期テストや北辰テスト、公立入試でもよく出題される年表問題
「人物名や出来事の名前は覚えているけど、いつの話なのかは分からない」という人も多いですよね。

そこで!

今回から「歴史年号をゴロあわせで覚えちゃおう」をテーマに、
みなさんに年号とその覚え方、簡単な説明を紹介していきます。

記念すべき第1回は「近代の戦争編①」
明治時代以降、日本が関わった主な戦争をまとめて覚えましょう。

日清戦争(1894)…「ひと(1)や(8)くよ(94)=人、焼くよ?」

ずいぶんと物騒なゴロあわせになってしまいました。
朝鮮で起こった甲午農民戦争をきっかけに日清両軍が衝突した戦争です。
1895年に下関条約を結び、日本は多額の賠償金を清から得ることができ、
遼東半島や台湾などを譲り受けました。

日露戦争(1904)…「いく(19)ぜロ(o)シア(4)に=行くぜロシアに」

下関条約(1895)で日本が獲得した遼東半島を、
ロシア・フランス・ドイツによる三国干渉によって清に返還します。
当時の日本には、ロシア・フランス・ドイツといった列強と同時に戦う力がなかったのでこの要求をのみました。
その後、清で起こった義和団事件を8か国連合軍で鎮圧しますが、
ロシアが満州に兵をとどめ、兵を引き上げようとしませんでした。
このままロシアが南下政策を進め、朝鮮半島までやってきたら日本が危なくなります。
そこで、同じくロシアをけん制したいイギリスと結んだ日英同盟を後ろ盾とし、
さらに「満韓交換」の交渉をしますがこれも決裂。
日本は安全を守るため、交渉をあきらめて戦争を決意しました。
そして戦争が進み、日本が日本海海戦で勝利したことを機に、アメリカの仲介でポーツマス条約を結びました。
この条約で、韓国での優越権、旅順・大連の租借権、鉄道利権、南樺太を得ることができましたが、
賠償金を得ることができず、国民が怒り、後に日比谷焼き討ち事件などが発生します。

第一次世界大戦(1914)…「いく(19)ぞ、いっしょ(14)に=行くぞ、一緒に」

オーストリア皇太子夫妻がセルビア人に暗殺されたサラエボ事件をきっかけに、
ドイツ・オーストリア・オスマン帝国を中心とする同盟国
イギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国とに分かれ、世界中を巻き込んだ戦争です。
日本は日英同盟を理由に、連合国側で参戦しました。
1918年に戦争が終わり、フランスにてベルサイユ条約(1919)を結びました。

いかがでしたか。日露戦争は少し長くなってしまいましたが・・・
今回紹介した3つの戦争は、戦争開始が10年ごと(1894→1904→1914)になっていることもあり、
まとめて覚えておきましょう。

次回は「近代の戦争編②」です。
お楽しみに。